いつか、アーカイブ星で
咳の続くちいちゃんは昨日も学校を休んで、妻が病院へ連れて行ってくれました。先日、病院へ行ったときは風邪ということでしたが今回は「ぜんそく様気管支炎」という病名でした。
まあ、
風邪みたいなものなのですが、風邪がきっかけで起こるものらしくて細菌やウイルスが原因となって発症して、たんを絡んだ咳がぜんそくのそれと似ているのでそんなふうに呼ばれているようです。
「わたし、ここが細いんだって」
と、ぼくが仕事から帰るとちいちゃんは心細そうにのどから胸のあたりを指さしながら言いました。妻に病状を聞くと、病院で先生から風邪のせいで気管支が細くなっていて咳が出ているのだと説明を受けたみたいなのです。
また小さいうちは気管支がもともと細いものらしいけれど、ちいちゃんは特にその傾向が強いのかもしれないと説明を受けたようです。だから普段から息切れがしやすいし、風邪をひいてしまうとどうしても咳が出やすいらしい。
なので、小さなちいちゃんは不安いっぱいなのかもしれません。薬もこれまでのたん切りの薬に追加して吸入の薬ももらってきて、もともと薬がきらいなちいちゃんだから余計に不安がいっぱいになってしまったんでしょう。
「大丈夫だよ」と、だからぼくは何でもないように言いました。「よくなったら、今まで通りいっぱい遊べるから」
もちろん油断はできないけれど、ぜんそく様気管支炎というのはぜんそくではないから薬をしっかり飲み続ければ治るということだし、実際以前にもちいちゃんはその症状になったことがあるし。
だから、大丈夫。
すぐってわけにはいかないけれど、ちゃんと治る病気だから。だからちょっと我慢しようね。
そんなことをぼくは言ったのだけれど。
***
「ねえ、パパ」と、お風呂のなかでちいちゃんは言いました。「ひとは死んだらどうなるの?」
自分の気管支はひとより細いっていうことがちょっと大きくちいちゃんのなかに残って、そんな質問になったのかもしれません。突然のそんな質問はぼくにとってもけっこうハードな質問で、、、。
「アーカイブ星に行くんだよ」と、ぼくはちょっと考えてから答えました。「だれかがそのひとのことを覚えている限り、死んだあとひとはその星で暮らすんだよ」
昔、読んだことのある小説のなかでそんなことが語られていて、いつかちいちゃんにそんなことを聞かれたときにはそう答えようと思っていたのです。
正しい答えかどうかは分からない。でももともと正解なんてないのだし、それにぼく自身はこの答えをあながち間違いでもないんじゃなかろうかとも思っているから。
「アーカイブ星?」と、ちいちゃんは言いました。
「そう、アーカイブ星」
「どこにあるの?」と、ちいちゃんは聞きました。
「それは」と、ぼくは答えました。「パパも分からない。行ったことはないからね。でもだれかの記憶に残っているひとは、そこで幸せに暮らしているんだと思うよ」
「ばあばも、いつかそこに行くのかな?」
「多分ね」
「パパも?」
「そう、パパも」
「もし」と、ちいちゃんは言いました。「忘れられちゃったら?」
「そのときはじめて消えちゃうかもしれないね」と、ぼくは答えました。「でも、たとえば、ばあばがアーカイブ星に行ったとするでしょ。パパは、ばあばを覚えている。ちいちゃんも覚えているよね」
「うん」
「うん。そしていつかパパもアーカイブ星に行くことがあるかもしれない。ちいちゃんはパパのこと覚えていてくれるでしょ。そしたらパパは、ばあばのことを覚えているから、きっとアーカイブ星で会うことができるよね」
「うん」
「そうだとしたら、もう絶対ばあばのことを忘れないよね。だとしたら、ずっとぼくたちはアーカイブ星で幸せに暮らせるんじゃないかな」
「そうなの?」
「うん」と、ぼくは言いました。「多分ね。パパも死んだことはないから多分だけど」
「それは、パパのママから聞いたの?」
「ん」と言って、ぼくは続けました。「そうだよ。パパのお母さんからね」
「そっか」と、ちいちゃんは言いました。そしてぼくのことをじっと見つめた。
「忘れないでいてくれる?」と、ぼくが聞くとちいちゃんは「うん」と言って、なんともいえない表情で笑った。
なにが正解なのかは分からない。
これでちいちゃんの不安をぬぐってあげられたのかどうかも分からない。でも、忘れないでいることは、決して間違っていないと思うんだ。
ぼくも幾人かのたいせつなひとをすでに失ってきたけれど、いつかアーカイブ星で会えたならいいなと思っている。
だから、
ちいちゃん。
ほんとうにたいせつなひとに出会ったなら、忘れないでいてあげてほしい。たとえば少なからず後悔を残して別れちゃったとしても忘れないでいればいつか、アーカイブ星で会えることもあるかもしれないから。