少年たちの終わらない夜
ずいぶん久しぶりに夢を見た。ぼくは高校生で「少年たちの終わらない夜」という小説を読みながら、でも気が付くといつも斜め前に座る女の子の横顔を見つめていた。
その横顔を、ぼくはいまでもよく覚えている。ぼくの恋愛経験はほぼ片思いで、だから当然彼女は片思いの女の子だ。100パーセントの片思い。
高校2年になってすぐ、隣の席に座ったのが彼女だった。一目惚れだったのかどうなのかよく分からない。気が付くといつのまにか好きになっていた。
***
読んでいた小説が「少年たちの終わらない夜」だったのは、もしかしたらこの本についてなら彼女と話せるかもしれないって期待していたのかもしれない。内気な高校生だったぼくにはクラスメイトの女の子と話す話題なんて他に何にもなかったから。
その頃のぼくはといえば、司馬遼太郎さんとか藤沢周平さんとか、どちらかといえばそんなタイプの小説が好きな大人しい男の子で、でもまさか片思いの女の子に司馬遼太郎さんの話をするわけにもいかない。
「ねえ、坂の上の雲って知ってる?」と、ぼくが言う。「とても面白い小説なんだよ」
ふむ。
全くおはなしが盛り上がる気がしない。まあどちらにしても、結局ぼくは最後までたいしたことは何も話せなかったのだし、本の話なら話せるかもなんて期待もただの誤解に過ぎなかったのかもしれない。
ただその本が鷺沢萠さんの「少年たちの終わらない夜」だったのには多分少し意味がある。
小説家になれたならいいななんて思っていた高校生のぼくにとって、高校生で文学界新人賞を受賞した鷺沢さんはあこがれのひとだった。だから鷺沢さんの小説について話すことは、少なからずぼく自身を語ることにつながると思っていたのかもしれない。
でもそんな鷺沢さんの新しい小説を、ぼくはもう読むことができない。10年以上も前に35歳という若さで亡くなったからだ。自殺だったらしい。
理由は分からない。でもひとは誰だって多かれ少なかれ闇を抱えていて、時にその闇はひとを飲み込んでしまうことだってあるのかもしれない。そんなこと誰にも分からない。分かっているのはいつのまにかぼくが鷺沢さんの年齢を追い越してしまっていたということ。そんなことくらいしかない。
片思いの女の子に、結局ぼくは何もすることができなかった。告白はもちろん、たいして話すこともできずに3年になりクラスが替わり、そして話すことどころか、会うこともほとんどなくなった。
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なんでいまごろこんな夢を見たのか、その理由は多分分かっていて、それは姪っ子のきょうちゃんの将来の夢を知ったからだ。
「将来、漫画家かイラストレーター。それか小説家になりたいんだ」
と、彼女は言った。
まだまだ子どもだと思っていた11歳のきょうちゃんにしっかりとした夢があったということにもびっくりしたし、そのひとつが小説家だということにもびっくりした。
やっぱり女の子は成長が早いのかもしれない。ぼくが11歳の頃、多分そんなしっかりとした夢は持っていなかった気がする。インディ・ジョーンズになりたいとか、教師びんびん物語の俊ちゃんになりたいとか、そんな感じ。ほんと思い出すほど恥ずかしいけれど、でもなぜかそれは愛おしい思い出でもある。
きょうちゃんもそんなふうにいつか小学生の自分とそのときの夢を思い出すのだろうか。その夢の中にかつてぼくもなりたかった小説家が入っているのがなんとなくうれしかった。
彼女の夢が叶うかどうかはもちろん分からない。ぼくのように叶わずに終わるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。あるいはもっと年齢を重ねればまた違う夢を持つかもしれない。
でもできるなら叶って欲しいと思う。少なくとも夢を見続けて欲しいと思う。だって夢をみることは素晴らしいことだから。
ぼくはたいした大人じゃないし、どちらかというと優柔不断なひとだから断言できることなんてあんまりないけれど、でもこれはきっと間違っていない。夢をみることは素晴らしいことだ。
笑われるかもしれないけれど、いまは心からそう思っている。
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片思いの女の子にぼくは結局最後まで何もできなかったけれど、なにひとつ思い出がないというわけでもない。
クラスメイトだったから調理実習で一緒に料理を作ったり、文化祭の準備をしたり、隣の席だったこともあったから消しゴムを借りたこともあった。そして隣の席だったときには「おはよう」って、毎日言葉を交わした。そんなひと言だけなのにそれは不思議とぼくを幸せにした。
いまでも鮮明に覚えている出来事がある。1学期の終わり、期末テストだったと思う。ぼくは日本史のテストで100点をとった。
ぼくの通っていた高校は進学校で、でもぼくは授業中に小説を読んでいるような、どうひいき目にみても優等生とは言いがたい生徒だった。
数学も英語も苦手で赤点ギリギリ、けれど好きこそ物の上手なれとはよく言ったもので、興味のあった日本史と現文だけは比較的出来が良かった。
ただどちらかといえばアウトサイダーだったぼくは、数学や英語ではなくて日本史や現文が得意ということにあまり誇りを持てずにいた。だからぼくはその点数を見て途方に暮れていた。もちろん努力はしたと思う。正当な結果だったとも思う。それでもぼくは途方に暮れていた。でもそんなぼくの点数を後ろからのぞき見た彼女は言った。
「すごい!」
そして両手で思い切り、ぼくの背中を叩いた。驚いて振り向くと、彼女はとてもうれしそうに笑っていた。
どうしてひとのことでこんなにうれしそうに笑えるのだろうとぼくは思った。でも彼女のそのうれしそうな笑顔を見ていたらそんなことどうでもよくなっていた。自分が認められたようでうれしかった。
「ありがと」
と、だからぼくは心からそう言った。
いまでもぼくは、そのときの背中の痛みと彼女の手のひらの暖かさを覚えている。そして彼女の笑顔を思い出す度にドキドキする。
そんな20年以上も前の思い出にいまでもドキドキしてしまうぼくは、きっとどうしようもないバカだ。
***
調理実習は3学期最後の授業で、消化試合みたいなものだった。作るものもそれぞれの班で食べたいものを作ればいいという適当なもので、でも彼女と同じ班だったぼくは、朝からドキドキとして落ち着かなかった。
ぼくたちの班は男子がサンドイッチを作り、女子がコーンポタージュとプリンを作った。
ちなみにぼくは、このとき初めてアボカドを食べた。友人のMくんが「すごくおいしいんだ」って言ってアボカドのサンドイッチを作ってくれたのだ。彼は他にももう一品、自費でトマトとモツァレラチーズのサラダを作ってくれた。
どちらもほんとうに美味しかった。「将来さ、ぼくは料理人になりたいんだ」と笑顔で話す彼を、さきのことなんてなにひとつ具体的に見えていなかったぼくは尊敬の眼差しで見つめた。
最後に先生が記念にといって班ごとに写真を撮ってくれて、洗い物をしながら写真映りのあまり良くないぼくはうまく写真が撮れているようにと、そんなことばかり考えていた。
帰りの下駄箱で、ぼくは彼女と偶然一緒になった。ひとりなのとぼくが聞くと、そうなのと彼女は答えた。
「調理実習楽しかったね」と彼女が言った。「アボカドのサンドイッチなんて私初めて食べた」
「うん」とぼくは答えた。「トマトとモツァレラチーズのサラダもね」
「ほんと美味しかった」そう言って彼女は急になんだかとても楽しそうに笑いだした。
「ごめんね。なんかきみのエプロン思い出しちゃった。まさかミッキーマウスだなんて」
「あれはだから」と言って、でもぼくは説明するのを止めた。「まあ、いいや。もう言い訳はさっきいっぱいしたし」
「でも似合ってたよ」
「ありがとう」とぼくは言った。
「ごめんなさい。怒った?」と急に真剣な表情で彼女が聞いた。ほくの言い方が不機嫌そうに聞こえたのかもしれない。「ん、それくらいのことなら怒らないよ」と、だからぼくは答えた。
「そっか」と彼女は言った。「そうだよね。きみはすごく優しいから」
ぼくは何も答えなかった。なんて答えていいのか分からなかったのだ。
「それじゃ、私帰るね」と彼女が言った。ぼくは何か言わなくちゃって、そう思った。でも焦って考えれば考えるほど言葉は消えていった。
「あ、プリン。美味しかったよ」やっとのことでぼくが言えたのは、そんな当たり障りのない言葉だけだった。でもそれを聞いてなぜか彼女はまた笑いだした。
「なんかおかしなこと言った?」
「だって」と彼女は笑いながら言った。「プリンってきみの発音おかしいんだもん。それじゃ不倫だよ」
「そうなの」
「そうなのです」と彼女は言った。そして「あー。顔が真っ赤になってる」
「え」と言ってぼくはあからさまにおろおろした。そんなぼくを見て彼女は慌てて言った。「ごめん、嘘、嘘。赤くなってないよ」
「なんだ」と、ぼくは言った。「からかわないでよ」
「ごめんね」と彼女は謝った。そして上目遣いにぼくを見て、それから続けた。「また同じクラスだといいね」
「だって席、隣同士だったでしょ。最初。きっと縁がさ、あるんだよ」
「うん」とぼくは答えた。「そうだね」
そしてぼくは今度こそ何かを言わなくちゃいけないと思った。それでも言葉は何も出てきてはくれなかった。
「じゃあ、またね」彼女はそう言って微笑んだ。うん、また明日とぼくが言うと、彼女は振りかえって歩き出した。
ぼくはその後ろ姿に何かを言おうとした。確かに何かを言おうとしたのだ。でもそのとき、震え出したバイブレーションで目が覚めた。
***
目が覚めると当たり前だけど妻とちいちゃんが隣に寝ていて、ぼくはなんだか少し罪悪感を感じた。もちろん高校生の頃の片思いの女の子の夢なんかを見てしまったからだ。
まだ朝の4時だからふたりはすやすやと眠っている。ぼくはふたりが幸せな夢を見ていてくれたならいいなと思った。そして布団からはみ出して寝ているちいちゃんに布団をかけ直して立ち上がった。
高校生だったぼくは、いまのぼくを見てどう思うのかなって考える。多分あの頃のぼくが見ていた未来はいまのぼくではなかったはずだ。でもなんとなくだけど彼は言う気がする。
「ぼくにしては頑張ってるんじゃないの」って。安易な自己肯定かもしれないけど、そう思う。いまは妻やちいちゃんとの生活が当たり前で、もうふたりのいない生活は想像ができない。
もちろんすべてがうまくいっているわけじゃない。取り繕っても仕方がないから正直に言えば、離婚の危機だってあったし、そのことでまだ幼いちいちゃんを泣かせてしまったこともある。
取り返しのつかないこともあったけれど、でもそんな日々を通りすぎていまぼくたちは一緒に暮らしている。
ねえ、
ちいちゃん。そしてママ。
知ってた?
ぼくはいまとても幸せだよ。
できるならふたりもそうであってくれたならいいなと思う。でももしそうじゃないとしても、それはそれでいいや。頑張りがいがあるもんね。
だけどこの夢だけは、ぼくの小さな秘密にさせてくれないかな。まだふたりと出会う前のこれはぼくの大切な思い出なんだ。
***
「少年たちの終わらない夜」という小説の内容を実はほとんど覚えていない。この際改めてあらすじだけでも調べてみようかと思ったけれど、それも味気ないので止めた。
ただどこにもいけない少年たちのやるせなさだけが微かなイメージとして残っている。
短編集だったから、「少年たちの終わらない夜」ではなかったかもしれないけれど、たしか夜の高校のプールに少年たちがフェンスをよじ登って忍び込むというシーンがあって、でも少年たちにとって意味があったはずのその行為は、結局現実をなにひとつ変えてくれなかった。
どこにもいけない。
あの頃ぼくが感じていたのは多分そんな感情だ。でもそんなことはなかった。
恥ずかしくても、カッコ悪くても、あがき続けていればひとはどこかにたどり着ける。それが求めていた場所かどうかは分からない。でもどこかにきっといくことはできると思う。