ちいちゃん、補助輪をとる
おとなりのちいちゃんよりひとつ年下の女の子。ちいちゃんよりひと足先に補助輪をとって自転車に乗れるようになったみたいで、
「わたしの補助輪もとって」
と、ちいちゃんもなった。でももちろんいきなり補助輪なしでは走れない。だから日曜日、近所の公園に自転車の練習に出かけた。
天気の良い日曜日で、何かを思い出しそうな別にそんなこともないような、公園に来るとぼくはいつもそんなよく分からない感傷に浸ってしまう。もちろんちいちゃんはそんなことはおかまいなしだけれど。
「おなかすいたよー」と、来てそうそうに言い出すちいちゃん。
「おーい」と、ぼくは言った。「せめていっかいくらいは練習しようよ」
「やだ」
「ん?」と、ぼく。「いや、だれの練習なのさ?」
「あそこの木まできょうそうしようよ」ちいちゃんが言うと、ママは半ば強制的にちいちゃんを自転車に乗せてしまう。
「さあ、行ってらっしゃい!」
母は強し。
***
補助輪のときから思っていたことだけど、ちいちゃんは自転車を漕ぐ力がまだまだ弱いので安定して自転車を乗りこなすことができない。さらに視界も近くばかりを見てしまうからくねくねくねくねしてしまう。
「うーん。まずはずっとパパが支えて押していくから、とりあえずちいちゃんは乗ってるだけでいいよ。ハンドルをしっかり持つことと、遠くをみることをまずがんばってみて」
とにかくまず自転車に慣れさせようということから始めることにした。漕がなくていいのと、倒れる心配がないのと、ハンドルを動かせば好きな場所に行けるのとで、ここは楽しそう。ちょっと慣れてきたら、
「じゃあ、つぎはちょっと漕いでみよう」
ぼくが支えたまま、ちいちゃんが漕いでみることにする。ほんとは漕ぎ出しの練習をしたいところですが、ちいちゃんはちょっと時間をかけた方が良さそうかなと思って、今日は自転車に慣れるところまでにすることにした。
「ほら、もっとちゃんと漕がないと倒れちゃうよ」
「なに言ってるの。ちゃんと漕いでるんだよー」
なんてやりとりを何度か繰り返して、ちいちゃんは、
「おなかすいたー」になった。ぼくも腰が痛くなってきちゃったし。練習してお腹が空くなんて健康的だよね。
で、コンビニでお昼を買って日当たりの良いベンチでランチ。午後からは妻が自転車を押して、もうちょっと練習しようね、なんて言ってたけれど、ちいちゃんはもう嫌になっちゃったみたいで午後は普通に遊ぶことになった。
自転車の練習のあいだ見ているだけだった妻は、「寒くなっちゃったよ」と言いながらちいちゃんとおいかけっこ。ぼくはそんなふたりを見てなんかしあわせだなあとか思ったり。
なんてね。
でも、ほんとうにそう思ってしまう。こういうの、パパの特権かもしれないね。別にたいしたことなんてしてないんだけど。
***
天気は良かったけど、とてもかぜの強い日でたくさんの落ち葉が舞っていてちいちゃんは追いかけているのか、追いかけられているのか、なんだかとてもたのしそうに素敵な笑顔で走りまわっている。
そうか、
はじめてなのだ。
ぼくたちにはあたりまえのことでも、ちいちゃんにとってはじめてのことがたくさんあって、もちろんそんなことは分かっているのだけれど、なんだかそれはちょっと神聖な瞬間だった。
ねえ、
ちいちゃん。
ぼくはちいちゃんにたくさんのはじめてを見せてあげられているかな。日々の忙しさのせいにして逃げちゃっていないだろうか。
きっとぼくが、じゃなくてもちいちゃんにはじめてを見せてくれるひとはたくさんいて、そんな世界のなかでちいちゃんは成長している。
でも、
できるならたくさんのはじめてをぼくが見せてあげたい。ちいちゃんの世界をひろげてあげるのはぼくでありたい。
独りよがりだろうか。
そうかもしれないな。
でも、いまだけは。かぜのなかで走るちいちゃんの笑顔を見つめながら、ぼくはそんなことを考えていた。