私が教えてあげる
「ねえ、パパ」と、お風呂に入っているときにちいちゃんが言った。「世界に一つだけの花って、知ってる?」
「知ってるよ」と言って、ぼくはサビの部分を口ずさむ。さすがにこれだけ有名な曲ならぼくでも口ずさむことくらいはできる。でも、そんなぼくの歌を聴いて、
「すごい、パパ」と、ちいちゃんは目をまん丸くして言った。「パパってさ、音程ばっちりだね」
「ありがとう」と、ぼくはちょっと笑いながら答えた。「けど、そんなふうに言ってくれるのはちいちゃんくらいだよ」
「そうなの」
「そうなの」と、ぼくは言った。「でも、どうして突然?」
「きょう、学校でね」と、ちいちゃんは答えた。「先生がギターを弾きながら歌ってくれたの。すごくね、かっこよかったんだよ」
そう言ってちいちゃんも世界に一つだけの花を、多分ひとが聴いたらなんだか微妙って言われちゃうような音程で歌いだした。でも1回聴いただけで、これだけ歌えちゃうんだからすごいなあってぼくなんかは思うし、なんかちいちゃんの声は高く響いて、こころがあったかくなる。
ん、
これは親ばか?
「そうか、よかったね」と、ぼくは言った。ぼくは音痴だし、だからギターなんてとても弾けないから、先生のことがちょっとうらやましい。ちいちゃんとギターを弾きながら歌を歌えたら、とっても素敵だろうなと思う。
「先生、ギターを弾けるなんてすごいねえ」
「うん」と、ちいちゃんはうれしそうに笑った。「すごいんだよ。こうやって弾きながらね、歌を歌っちゃうんだよ」
そんな身振り手振りで話すちいちゃんを見つめながら、ぼくはちょっと安心する。ちいちゃんのクラス、実は担任の先生が2回代わっている。
最初の先生が病気療養ということで学校をしばらく休むことになったと昨年10月頃に突然話があって以来、なかなか代わりの先生が決まらずにいたのだけれど、やっと2学期の終わりに新しい先生が決まったと思ったら、また3学期から先生が代わるとのこと。学校からは詳しい説明もなく、なんとはなしに心配をしていたからとにもかくにも新しい先生に慣れてくれているなら良かった、とぼくは思ったのだ。
「パパも弾ける?」そんなことを考えていたら、ちいちゃんはそんなことを聞いてきた。
「パパはね」と、ぼくは答えた。「残念ながら弾けないんだよね。弾けたら楽しいだろうなって、いま思ってたんだけど」
「そうなのか」と、ちいちゃんは言った。「じゃあさ、練習したらいいんじゃない」
「ん」と、ぼくはちょっと戸惑いながら言った。実ははるか昔、練習したことがあるんだけれど、音痴で不器用なぼくはギターを弾きながら同時に歌うということがどうしても出来なかった。だからどうかなあと思いつつも、せっかくちいちゃんがそんなふうに言ってくれるのだからがんばってみようかなあとも思って続けた。
「そうだね、そしたらちいちゃんと一緒に歌えるかもしれないしね」
「そうだよ。きっとパパもすごくかっこいいと思うよ」
「そう? でもパパは音痴だよ」
「そんなことないよ」と、ちいちゃんは言ってくれた。「パパの声はやさしい声だし」
「ほんと」と、ぼくはちいちゃんを見つめながら答えた。「そんなことを言ってくれるのはちいちゃんだけだよ」
「あ!」
と、ちいちゃんは突然思い出したように言った。「そうだ、パパはエレクトーンがいいよ」
「そうなの」
「うん」と、ちいちゃん。「だって、そうしたらわたしがエレクトーン教えてあげられるでしょう」
「そうか」と、ぼくは言った。「それは頼もしいなあ」
「そうでしょう」と、ちいちゃんは満面の笑みで言った。「私が教えてあげるからね」
ねえ、
ちいちゃん。
知ってる?
ちいちゃんのそんな言葉が、ぼくにはとてもとてもうれしかったってこと。
***
なんだかんだずっと調子の悪かったちいちゃんだけど、ここのところやっと少し良くなってきたみたい。夜も咳をしなくなったし、体育は見学だけれど今週は学校も休まずに行けた。
嫌いなお薬をがんばって飲み続けてくれたからだね。
がんばってくれてありがとう。
さて、
そんなわけで先週末はまだ本調子には程遠かったし、妻も調子を崩していたからおうちでのんびりと過ごす週末に。というわけで、例によって料理修行中のぼくにはうってつけの週末だった。だったはずなのだけど。
で、
珍しく妻からリクエストがあって、それは餃子。みんなで作ろうね、というわけなのだろう。だからぼくも金曜日に材料を買って帰った。
けど、週末ちいちゃんは言った。
「私、やらない」
ん、
なんで?
なんでも以前に家族3人で餃子作りをしたときに、自分だけきれいに包めなかったのが哀しかったとのこと。だからまたそんな思いはしたくないからやらない。
うーん、
女の子の気持ちは難しい。
でもその気持ちはなんとなくだけど、分からなくもない。ぼくは4人兄弟の末っ子で、上の3人は簡単にできることをけっこう年の離れたぼくだけできないってことがよくあったから、もしかしたらそんなときの気持ちに近いのかもしれない。
結局、ちいちゃんはかたくなで、するとなんだか妻もじゃあいいよ、私もやらない。そんなのよく意味が分からないんだけど、なぜか餃子はぼくがひとりで作ることになった。
30個分の焼き餃子。
レシピはネットで調べて、豚ひき肉200グラムにキャベツ200グラム、ネギとにらは50グラムずつ、それににんにくとしょうが。
味付けはごま油としょうゆ、酒、みりん、鶏がらスープの素を小さじ1ぐらいずつ。まあ、適当。
やばい。
おいしい料理を作れるようになるっていう目標だったのに、適当って。けど、なんだか妻は機嫌が悪いし、ちいちゃんは遊んでーだし。
なんだかいつもよりたいへんだったわけです。30個くらいだけどね。慣れない手つきの男のひとにはけっこうな量。
ちなみに焼くのはけっこう得意。前から妻が包んだものを焼くのはぼく、なんてこともけっこうあったので。そんなこんなで焼き上げた焼き餃子。
けっこう、きれいに焼きあがったのだけれど。
「味がない」
と、妻には言われちゃうし、
「なんかお野菜かたい」
と、ちいちゃんには言われてしまった。なんとなく原因は分かっていて、ぼくはキャベツを塩もみしなかったのだ。だからきっとキャベツはかたいし、味もなんか薄い感じになってしまったのだろう。とりあえず、早く終わらせてちいちゃんと遊ぼう、なんて考えてしまったのがいけなかった。
うーん、
料理って難しい。