ちいちゃんパパのブログ

日々の、あることないこと。なんて、ほんとはちがう目的だったんですけど。まあ。いろいろ

さよならなんて云えないよ

引き続き、ちいちゃんはあんまり調子が良くなくて今週も火曜日は午後早退。大雪の次の日だったし、

 

「まさか夜中の雪合戦のせい?」

 

と心配になって聞いたけど、「そうじゃないよ。先生が大げさなんだよ」なんてことを言ったりする。ほんと? なんて思ったりしたけど、まあたしかに咳を少しする以外は元気で、翌日からはちゃんと登校しているから、うん、大丈夫なんだろう。

 

たぶん。

 

さて、

 

今週、ちいちゃんの様子はこんな感じで先週末もそれなりに安静にしていたから、おでかけは買い物と図書館くらい。なので先週末もぼくはけっこうゆっくりと料理ができた。

 

で、

 

土曜日は前の週できなかったブリの照り焼き。それと切り干し大根の煮物、もやしのおみそ汁にりんご。日曜日はちいちゃんのリクエストでカレーライス。例によって牛乳をたっぷり入れた甘いやつ。それに大根と油揚げのおみそ汁とバナナ。

 

ブリはさばよりも切り身がきれいなので焼き上がりもとてもきれいに出来上がって、おお、なかなかの出来ばえなんじゃないでしょうか? なんてことをぼくは思ったのだけど。

 

が、

 

ちいちゃんに、おいしかった? と聞くと、

 

「うーん」と、ちいちゃんは言った。「やっぱりパパの料理はミートソースのスパゲティがいちばんおいしいね」

 

ん!

 

それはちいちゃん、市販のミートソースを温めてかけるだけなんだよ。料理なんて言わないのだよ!

 

遠出をしない休日の昼食は、ぼくがスパゲティやインスタントラーメン、焼きそば、うどん、チャーハンなど簡単にできるものを作ることが多いのだけど、ちいちゃんはその麺を茹でて温めた市販のソースをかけただけのスパゲティがいちばんおいしいというわけです。

 

「そっか」と、ぼくは言った。「とてもうれしいよ」

 

ちなみに、妻は言った。「なんかこのブリ。先週のさばと味付けおんなじだよね」

 

はい、そのとおりです。

 

ぼくの、

 

料理修業はまだまだ続く。

 

***

 

左へカーブを曲がると光る海が見えてくる

僕は思う!

この瞬間は続くと!

いつまでも

 

なんか、最近こんな歌があたまのなかをめぐっている。小沢健二さんの「さよならなんて云えないよ」。こんな言い方は失礼かもしれないけれど、それほどよく聴いてたわけじゃないのに、軽やかなメロディーにのせたこのひとの声と歌詞はなぜだかぼくのこころの深いところに響く。

 

去年の12月の初め頃に届いた喪中はがき。その名前をみてぼくは言葉を失った。

 

享年57歳。

 

亡くなられたのは昨年の2月だったけれど、年賀状のやりとりだけの間柄だから、喪中はがきではじめて知った。詳しいことは書かれていなかったから原因は分からない。もしかしたら病気だったのかもしれない。理由が何であれ若すぎる、とぼくは思った。

 

そのひとはぼくの幼稚園のときの先生で、多分、幼稚園の授業のなかで先生に年賀状を送るみたいなことをやったのかもしれない。それ以来ぼくはずっとこの年になるまで年賀状を送り続けていて、先生も毎年、年賀状を送ってくれた。

 

ぼくが卒園してすぐに先生は結婚をして新潟に引っ越したから、ぼくは卒園以来一度も先生と会ったことはない。ただ年賀状で近況を伝えあっていただけだ。

 

中学生になったことや、高校、大学に合格したこと。就職難にとにもかくにも無事就職できたこと。内気なぼくがなんと結婚したこと。そして、ちいちゃんが生まれたこと。そのうえなにを思ったか仕事を辞めて、パン屋さんを始めたこと。結局またもとの仕事に戻ったこと、、、。

 

先生からも、ちょっとした近況報告をしてくれた。お子さんが小さいときは写真入りの年賀状を送ってくれて、素敵な家族だなあとこんな家族を作りたいものだなと思ったりした。何年か前にはそんなお子さんが結婚されたことを知ったり、、、。

 

そんな年賀状をやりとりするだけの間柄だったけれど、でも先生はいつか近くに来たら遠慮なく会いに来てくださいと言ってくれていたり、ぼくが個人で移動販売とネット販売のパン屋さんを始めたときはわざわざ遠方から注文をしてくれて、そのパンを食べてとてもていねいな手紙も送ってくれた。

 

正直に言えば、ぼくはまだ幼かったから先生のことをほとんど覚えていない。年賀状の写真は見ているはずだけれど、具体的に先生の顔や声を思い浮かべることもできない。

 

でも、

 

そんな関係はまだまだ続くのだと思っていた。いつか会いに行けたならいいなと思っていた。見知らぬ先生に会って、ちいちゃんは恥ずかしそうにぼくの後ろに隠れちゃうんじゃないかななんて想像したりしていた。そんな思い込みは突然終わってしまったけれど。

 

ぼくがパン屋さんを始めたとき、そしてもとの仕事に戻ったとき、先生は書いてくれた。

 

真面目なろれんぞくんのことだからどんな判断をしたとしても、きっと大丈夫。

 

いつだって自信なんてひとかけらもないぼくに、そんな先生の言葉がどれだけの力を与えてくれたか分からない。

 

ぼくはなにをしてたのかな?

 

ぼくにもっと行動力があれば先生に会いに行くこともできたし、妻やちいちゃんを紹介することだってできたはずなのに、すべては結局、たら、れば、で終わってしまった。

 

手紙を書かなくてはいけないなと、もうずっと思っている。けれどなんの言葉も浮かんでこなくてまだ書けないでいる。ただバカみたいに「さよならなんて云えないよ」という曲だけがあたまのなかに流れている。

 

本当にバカみたいだな。

 

本当は知っていたはずなのだ。

 

ぼくたちのこの命は明日には尽きてしまうかもしれないと。だからできるかぎり真面目に、誠実にものごとと向き合っていなければいけないと。

 

でも。

 

いつも、ぼくは、でも、ばっかりだ。ぼくはこんな経験を以前にもしていたはずなのに、なんにも成長してやしない。

 

明日には何かが変わっているかな? 

 

変われるかな? 

 

きっとそんなはずはないけれど、でもやっぱりもうそろそろ手紙を書かなければいけないよな。と、ただそんなことをずっと考えている。