悪い子はどこだ
3日は節分。
あまりしっかりとというわけではないけれど、我が家でもささやかな豆まきをした。
毎年、節分というとぼくが鬼になる。まあ、鬼というか、モンスターズ・インクのサリーみたように、
「がおー!」
と、鬼のお面を被ったぼくが両手をあげて叫ぶわけだけど。昨年までのちいちゃんはそれがとても面白かったみたいで、全力でぼくに向かって豆を投げつけてきたものだった。手加減なしなので、これがけっこう痛い。なぜか妻も一緒になって投げつけてくる。
ねえ、
なんかぼくにうらみがあるの?
みたような感じだったのだ。
が、
今年は学校で自分が作った鬼のお面を被りたいみたいで、「私が鬼をやる」とちいちゃんは言い出した。で、かわいい鬼のお面を被ったちいちゃんは、
「悪い子はどこだー」
と、言ってなんだか不思議な踊りをしながら登場。あまりのかわいさにぼくも妻も思わず笑ってしまった。
ちいちゃん、
それ、なまはげだから。鬼じゃないから、、、。
というわけで、良いか悪いか分からないけれど我が家では鬼じゃなくて神の使いに豆を投げつけるというなんとも罰当たりな節分なってしまった。
ごめんなさい。
***
さて、
週末はまだ本調子じゃないちいちゃんと妻でしたが、日曜日から始まった新しいプリキュアを観たちいちゃんはしっかりと合言葉をチェック。
毎年のことだけど、おもちゃ屋さんでその合言葉をお店のひとに伝えると新しいプリキュアの紹介DVDがもらえる。というわけで、日曜日はみんなでトイザらスへ行くことに。それとね、もうすぐ誕生日のちいちゃん。誕生日プレゼントの下見をかねて、ということにもなった。
「おやすみは、きりんさんへ行こう!」
と、ちいちゃんは週末を前になんだかずっととてもうれしそうにしていた。トイザらスに行くと壁に楽しげなきりんの家族の絵が描いてあって、なので我が家ではいつからかトイザらスは「きりんさん」と呼ばれているのだけれど、久しぶりのきりんさんを楽しみにしてくれていたから行けて良かった。
小さな子どもの視線と言うのは面白くて、トイザらスを「きりんさん」と呼び始めたのはちいちゃんだった。ちいちゃんが生まれて以来、ぼくはなんどもトイザらスに行っていたけれど、そんなきりんの絵にはまったく気づいていなかった。でも、ちいちゃんが見ていたのはそんなきりんの絵。
ねえ、
ちいちゃん。
ちいちゃんには、この世界はどんなふうに見えているんだろう。正直に言うと、ぼくにはこの世界はきれいなばかりのものじゃない。たぶん、多くのおとながそう思ってる。
それでも、たとえばとても冷たい朝に輝く朝日や、夜が訪れる前のうまく言い表せない切ない夕焼けだとか、おばあちゃんに優しさを見せる青年だとか、冬のまだ寒い時間に洗濯物を干す妻の指先とか、そんなものを見つけたり、想像したりして世界の美しさを確認している。
でも、
できるならちいちゃんにはこの世界は美しいと言ってあげたい。そんなふうに言いきれるようにぼくたちは生きなくちゃいけないんじゃないだろうか。
なんて、
そんなの偽善者に過ぎないかもしれないけれど。でもまじりけのないちいちゃんを見ていたら、本気でそんなことを思ったりもするのだ。
それはたぶんほんとのきもちで。きっと、だれもが持っているほんとのきもちなんじゃないかな。
たぶん、きっと。
きりんさんの絵を見つめながら、ぼくはなんとはなしにそんなことを思ったりした。